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銀杏BOYZ 「なんとなく僕たちは大人になるんだ」

先日、友人の結婚式があり、僕が大学時代を過ごした札幌の街に帰っていた。


僕は北海道の東部、いわゆる道東で生まれ、8歳の頃まで育った。
そのときの記憶はもはや断片的でしかない。
よく一緒に遊んでいた友人の名前も思い出せないくらい。

自分の両親は典型的な宗教観を持つ日本人であり、緩やかな仏教信者といえる家庭であったが、
家に近いという理由で、カトリックの幼稚園に通っていたことの記憶はそこそこある。
ご飯食べる前にお祈りしたり、聖書の漫画を読んでいたりしたような。
善悪の観念を意識したという点で、案外これは自分の人生に影響を与えているかもしれない。

そして親の転勤で僕は茨城に引っ越すことになった。
そのことで両親が言い合いをして、険悪になっていたことを子供心に思い出す。
自分が生まれ育った街、そして友人との別れ。
もうすぐ起こるであろう事態に恐れを感じ、僕は泣きじゃくっていたことを思い出す。

今振り返ると、一番辛かったのは両親だったと思うんだけど。
何のゆかりもない土地に引っ越して、暮らそうっていうんだから。

そんなこんなで僕は茨城に引っ越した。
今まで経験したことの無い猛烈な暑さが、僕達家族を歓迎した。
引越し先での初日、近所にあった食堂で、大して美味しくない冷やし中華を、
家族四人、黙って食べていたのを思い出す。

とはいえ、引越し先では新しい出会いもあり、
近所の同世代の子供達の輪に、僕はすんなりと溶け込むことが出来た。
あの頃の子供って、ほんと開放的だったし。毎日みんなで外で遊んでた。

自分が引っ越した先は社宅だったこともあり、
両親もすぐに近所の人達に受け入れてもらえていたみたいで、
家族同士でうちでご飯食べたりと、結構賑やかなことが多かったと思う。

そんなこんなで僕はすくすくと育った。
中学校時代にどこの子供もやるような悪いこともやったけど、
自分は明らかに健全に育った。自分でいうのも何だが、明らかに純粋だった。

小学校、中学校と、うちの学区はメンツが全く変わらなかったこともあり、
勉強出来る奴、喧嘩強い奴、笑いを取れる奴、
色んな人間はいたけれども、総じてみんな仲が良かった。

小中学校の友人は今でも集まること多いんだけど、今でも継続している連帯感って、
やっぱり同級生に恵まれていたという賜物であると実感する。
30過ぎても地元の友人とブラフマンのライブ行ってるなんて、当時は想像もつかなかった。

自分にとって、一つ目の転機は高校時代だったと思う。
正直、僕は高校時代、つまらなかった。今でも一緒に飲む友人って、一人もいない。

僕は進学校に通うことになったんだけど、なんか異質がなく、同質な感じに違和感があった。
別に友人がいなかった訳ではなくて、それなりに楽しくは過ごしていたんだけど、
なんか心から笑い合えるような、そんな関係を作れた友人がいなかった。
部活は何だかんだで3年生の春までやってたけど、自分の力不足もありパッとしなかったし。

何か周りに合わせて生活していた。
本当の自分はこんなんじゃないって感じながら、自分は生活していた。

でも当時のクラスメートの影響でギターをやり始めたのは自分にとって大きかった。
高校の学園祭でバンドをやっている友人を見て、自分もやってみたいと思った。
当時メタル聴いてて、音楽はかなり興味出てきた頃だったし。

初めて肉体労働のアルバイトというものを経験し、ギターを買った。
GibsonのパクリのMaisonという、入門者向けのレスポールだった。
それでも当時の自分からしたら高い買い物だった。アンプも一緒に買って。
友人とスタジオ入って遊んだりしていたものの、結局当時バンドってやつは出来なかった訳だけど。

閉塞的な高校時代の中で、段々と僕は大学生活というものに想いを馳せるようになった。
大学に行けば、きっとこんな閉じた息苦しい空間を抜け出して、
もっと自由で、もっと自分のやりたいと思うことが出来る、そう思うようになった。

大学でやりたいことってのは特になかった。
でも僕が生まれ育った北海道という土地に帰りたい。
そんな気持ちが大きく、志望する大学を決めるのに時間はかからなかった。

当時数学と化学の成績が良かったから、とりあえず理系の学部に行こう。
学術的ではなく、実践的な学問の方が、就職の潰しは効くだろう。
そんな適当な気持ちで、志望学部も決めた。

ダメな学生の典型なんだけど、でも目標が決まった人間のやる気ってのはバカに出来ないもので、
明らかに自分の「学力」、今振り返れば取り立ててなんの意味もない能力なんだけど、
とはいえ僕の「学力」は明らかに向上した。

閉塞した人間が開放を求めるときの力は凄い。自分は身を持ってそれを体感した。
失礼な言い方になるけど、予備校生なんて絶対になりたくなかった。

そして僕は受験を経て、札幌の大学に通うことになった。

閉塞感を感じていた高校時代だけど、それなりに卒業したときの友人との別れは寂しかったし、
何より今まで一緒に住んでいた親との別れは辛かった。
当時の自分はそんな寂しさを表に出すことはかっこ悪いと思っていたから、
冷静を装ってはいたけれども、きっと親には伝わっていたのかもしれない。

特に口が上手い方ではない父親とは、会話の回数が減った。
お互いがお互いを、きっと意識していた。
大学に受かってから1ヶ月はまるまる休みだったんだけど、あのときの記憶があまりない。

何か特別なことをしようって気持ちが、きっと照れ臭かったんだろうと思う。
極めて平穏に、日常は過ぎていった。

いよいよ実家を出るときがやってきた。

玄関まで家族三人が見送りに来てくれた。今振り返っても、涙が出そうになる。
僕はそのとき以来、実家の人間ではなくなった。
家族ではあるけれども、普段はそこにはいない「客人」となった。

18歳という時期にこの経験が出来たのは大きかったかな。
自分一人。決して一人ではないけれども、一人で生きていく。
その事実を実感した。自分が大人に近づいた瞬間だったと思う。

その後は地元に残る中学校時代の友人達が僕を駅まで見送ってくれた。
よくテレビで見るような光景。
電車の扉が閉まり、駅のホームで友人達が走りながら手を振っている。

あまり泣く経験がなかった自分だけど、このときの僕、泣いていたと思う。
自分は親も友人も捨てて、遠くの土地に行く。そのことを実感していた。


そんな過去を背負って降り立った札幌の土地。
そこでは本当に色々なことがあった。
多くの人達と出会い、酒飲んで、本当に心から毎日笑っていた。
悩み苦しんでいるときも、札幌の土地の何かが、僕を癒してくれた。

札幌に久しぶりに行って、昔の思い出の場所を巡っていて、
そして昔大学時代を一緒に過ごした友人達と酒を飲んで、騒いで、
昔の楽しかった思い出が蘇ってくるようだったけど、
最後に一人になって、札幌から空港に向かう電車に乗って、
蘇ってきたのは札幌に来るまでの自分の人生そのものだった。

就職が決まって、札幌を最後に出たときにも同じ電車に乗った。
あのときも、きっと同じことを考えていた。
札幌時代の思い出と共に、札幌に来るまでの自分の思い出を。


自分の人生なんて、きっとちっぽけなものである。
でも自分が背負ってきたものに対する重みを、僕はいつでも忘れずに感じている。
僕は今、ちっぽけであっても、社会に対して何かを出来る立場にいる。

何でもいいから、自分が生きた証を刻み付けたい。
そしてこれまで僕が世話になった人達、社会に対して、僕は恩返しがしたい。

僕が今生きる目的は、それである。


札幌からの帰りの電車の中、僕はこの曲を聴いていた。
札幌を出るときに先輩が僕を駅まで送ってくれたんだけど、
そのときに車の中でかけてくれた曲だった。
偶然にもお互いこのアルバムに衝撃を受けて、短い間だったけどよく語り合っていたもんだった。

この曲を聴くと、いつもあのときの記憶と、それまでの記憶とが蘇ってくる。


たいしてうまくもない行きつけのラーメン屋で
ぼんやりナイター中継を眺めていると
僕と同い年ぐらいの男が入ってきて
僕より先にたいらげてそそくさと帰っていった
 
どうしてみんなそんなに急ぐんだい
どうしてみんなそんなに急ぐんだい
 
ああ 僕の ラーメンくさい
溜息は 冬の夜空に消えていった


B0006TPGTUDOOR
銀杏BOYZ
UK.PROJECT 2005-01-15

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銀杏BOYZ 「なんとなく僕たちは大人になるんだ」

テーマ : お気に入り&好きな音楽
ジャンル : 音楽

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こんばんは。

最近、少し立ち止まりがちなクリープです。
そんな中、
捕鯨さんのブログは、
いつも私に道標のようなものを与えてくれて、
本当に、毎回、とても楽しみに読まさせていただいています。
多分、
私も捕鯨さんと同じような時代を生きてきた同志だと思うのですが...(^-^)
社会に、自分なりのかたちで何かを残そうと
一日一日を一生懸命充実して生きていらっしゃる捕鯨さんに対して、
親に短大までいかせてもらったのに
卒業後、夢ばかり追い続けてパート勤めの私は..と、
日々反省の気持ちでいっぱいの毎日です。
(何書いてるんだ?私...(>_<)
レールにうまく乗ることのできない人生。それが私の人生です
未だにもがいています..
でも、それが私の選んだ路。
立場は全く違いますが、
捕鯨さんなら、
もしかしたら、わかってもらえるかな..などと思い、
書いてしまいました。

今夜の捕鯨さんの旅立ちの話を読ませていただいて、
とても胸があつくなりました。
素敵なご家族ですね(^-^)
私も、これからも家族を大切にしてゆきたい、そう思いました。

なんか、
今夜は脈絡のない文章になってしまって、申し訳ないです。

でも、本当に心が暖まりました。
これからも捕鯨さんのブログ、楽しみに読ませていただきます。
また、此方の方にもいらしていただけたら、嬉しく思います。
素敵な記事、ありがとうございました。

Re: タイトルなし

いつもコメント頂いてありがとうございます。
返事遅くなってしまいまして申し訳ありません。

色んな人が言うことだと思いますけど、各々の人生において正解ってないと思います。
今現在仮に立ち止まっているとしても、
死ぬときに後悔がないってことが大事なんじゃないかと思います。

僕も社会的な立場からしたらレールに乗っている側の人間だと思うんですけど、
決してそれって目的ではなくて単純に手段だと思っています。
会社の中にいるからこそやれることがある。

リーマンという立場はとかく「個」を「組織」に埋没させることとして、
マイナスのイメージで捉えられることも多いです。
実際に会社に敷かれたレールに乗らざるをえない場面ってのは多々ありますし。

そうであるから、自分にとって今乗っているレールって通過点なんですよね。
年取れば取るほど、色々なしがらみが出てくるのは分かっていますが、
自分はいつでも会社なんて辞めてもいいって気持ちで会社に属しています。
自分が大事にしたい根幹の価値観を蹂躙してまで、会社に奉仕するつもりはありません。

自分もまだ将来のことなんて何も定まっていないんです。
決して全てが「同じ」とは言いませんが、未だに試行錯誤を続けている自分とは、
共通することも多いんじゃないのかなと思います。

いつまでそう言えるのか分かりませんが、
自分がやりたいことずっとやれるのが、やっぱり後悔しないために大事なことなんでしょうね。

今後もよろしくお願いしますねー。
プロフィール

捕鯨船団

Author:捕鯨船団
1979年生まれ。
東京都町田市在住。
電子部品の技術開発に従事。

30超えにも関わらず、
楽器をドラムに替え、
学生時代以来のバンドを始めた
今日この頃。

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