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Carcass 「Mount of Execution」

Carcass、まさかのニューアルバムリリース。

多くの人間に驚きをもたらしたニュースから、あっという間に時は経ち、
そしてとうとうリリース日がやってきた。

最近は新譜を発売日当日に買って聴くなんて、本当に限られたアーティストでしかやらないんだけど、
彼らの場合は特別。絶対にリリースされたらすぐ買って聴くって決めてた。
Chthonicの『Bu-Tik』以来だな。

『Surgical Steel』、とりあえず3回聴いた段階での感想を書いておく。


「1985」での今までになかったようなアルバムのスタートにはいきなりの驚きが。
メロウなツインギターをフィーチャーしたインスト。
でもギターの音色はメタル然としたそれではなく、今のビルが奏でる粘っこい音ではあるが。
残虐王の帰還をアピールするかのような演出のように思える。

続けざまの「Thrasher's Abattoir」ではいきなりスラッシュビートでの疾走。
ブラストビートもアクセントに加えて、いかにも俺達のカーカスが帰ってきたぜー的な演出。
速攻で繰り出させるギターソロも昔のカーカスっぽい。

ここら辺は『Necroticism - Descanting the Insalubrious』
『Heartwork』あたりの雰囲気を感じる。
とはいえかなりコンパクトにまとめられた楽曲は爽快に短く完結する。

「Cadaver Pouch Conveyor System」のイントロでのツインリードのリフは、
こちらは『Swansong』の雰囲気を感じ取ったりで、
こちらもかなり過去を意識した曲のように聴こえる。

中間部のスローダウンしたパートからの展開は
過去のカーカスにはなかったような要素が盛り込まれているようで、
こちらはカーカス解散後のメタルの雰囲気をまとったようなイメージ。
手数足数多くバタバタするドラムは、きっとケンオーウェンでは叩けない気が。

「A Congealed Clot of Blood」は一転してヘヴィなミドルテンポナンバー。
このずっしりした感じもまた昔のカーカスっぽい。
個人的にはこちらの方が、円熟を極めた今のメンバーにとって自然な音に感じられて、
凄く心地良さを感じる。ジェフウォーカーのボーカルがかなりかっこいい。

ドロドロしているんだけど、ただ下品な汚さではなくて、
どことなく英国然とした気品を感じられるのが、カーカスというバンドの特筆すべきところ。
決して派手なことはやっていなくても、ビルのギターソロに、その美しさを感じられたり。

「The Master Butcher's Apron」では更に一転してまたブラストビートの応酬。
ここら辺もカーカス完全復活を宣言するかのよう。でもまたスローなパート入る訳だけど。
この忙しい展開はやっぱり『Necroticism - Descanting the Insalubrious』
あたりの雰囲気を感じるな。

「Noncompliance to ASTM F 899-12 Standard」は、
英国チックなツインギターをフィーチャーして、
『Heartwork』の頃を髣髴とさせるブラストビートに乗せた単音リフへ移行、
そして『Swansong』を髣髴とさせる、ロックンロール的にスイングするリフへってイントロの展開。

1回目聴いたとき、ここがまず自分の中でのハイライトになった。
おおおー、かっけーって。思わず身体を動かしてしまう高揚感があった。
てかやっぱ自分、『Swansong』好きなんだよな。それを再確認。
まー、いきなりまたリズムチェンジして、せわしなく曲が展開していく訳なんだけど。

この曲のギターソロがまた素晴らしい。ビルのギターソロって、
曲のイメージを一気に変えてしまう力を持ってる。
中間部のソロ、後半部のソロ、どちらも本当に効果的で素晴らしい。
アプローチが、一般的なメタルギタリストとやっぱり違うんだよね。そこが面白い。

過去の色々なカーカスをごちゃまぜにミックスしたような、
彼らにしか作りえない名曲と言っていいんじゃないかと思う。

「The Granulating Dark Satanic Mills」もロックンロール的なリフが最高。
シンコペーションを多用して、かなり『Swansong』みたいな雰囲気。
ライドシンバルの入れ方がケンのドラムっぽくてニヤニヤしてしまったり。

何といってもこの曲はジェフのボーカルがかっこいい。
サビの6、0、2、6、9、6、1ってパート、かなりかっこいいよ。
ジェフのボーカルは全く劣化せずに、往年の魅力を完全に維持している訳だけど、
更に歌心が身についているというか、過去よりも表現力が増している気がする。

個人的には凄く好きな曲。Death'n Rollだな。

「Unfit for Human Consumption」は
どことなくMegadethの「Wake Up Dead」を彷彿とさせる序盤。
カーカスって音楽的変遷が、どことなくメガデスっぽい気がなんとなくしている。

このアルバムもどことなく、90年代後半のメガデスっぽい香りを感じたり。
そう思うの俺だけかもしれないけど。アプローチが近いのかもしれないなんて。

中間部の疾走パートは正統派メタルのそれなんだけど、
カーカスにしか出せないような味が感じられてかなりかっこいい。
そしてクライマックスはギターソロ。ビルスティアーの美メロが炸裂。

昔みたいにギターソロにもタイトル付けてほしかったな。
ギターソロのタイトル好きだったんだけどな。

この曲も前曲からの勢いを引き継いで、かなり熱い。
個人的にこの曲もかなり好き。

「316 L Grade Surgical Steel」ではアルバムのハイライトが到来といった趣。
リズムパターンの頻繁なチェンジがいかにもカーカスっぽくてかっこいい。
ブラストパートもあるし、リフとリズムが渾然一体となった気持ち良さがある。
かっこいいリフ飛び出しまくり。リズム隊もかなりいい仕事している。

尚ここでもビルの美メロギターソロが炸裂。
粘り気のあるギターソロの音作りは、本作では一貫して本当に素晴らしいと思う。

「Captive Bolt Pistol」は『Heartwork』に入っていそうな曲。
てか「Carnal Forge」にかなり近いんじゃないのかな。

このギターソロもかなり面白い。ビルにしか弾けないギターな気がする。
一回目のギターソロは短めに切りあげて、えっこれで終わり?と思わせて、
続いてギターソロに入るところなんていいアレンジだなーって思った。

そしてマイナースケールの早弾き上昇フレーズまで飛び出して、
過去のカーカステイストを演出するところもいいなあ。

「Noncompliance to ASTM F 899-12 Standard」からこの曲までの流れは、
本当に素晴らしいと思う。勢いが凄いわ。

そして本編ラストの「Mount of Execution」へ。
これまでのカーカスにはあまりなかったような新機軸タイプの曲だと思う。

アコースティックギターの叙情的なイントロ。こういった始まりは初めてでは?
続くのは英国テイストに溢れる、ハードロック入ったようなリフ。
メタル的な整合感よりも、ルーズさも感じられるスイング感を前面に押し出した感じ。

彼らのルーツとも言える70年代ハードロックの香り漂うんだけど、
でも不思議とカーカスっぽい。凄く新鮮だと思った。

ジェフのボーカルもどことなく歌心を感じさせる。
『Swansong』でも感じられる英国的センスとも何かが違う。
これが17年の重みなのかもしれない。かっこいい。

かなり頻繁にテンポ、リズムチェンジが繰り返されて、そのいちいちがかっこいいんだけど、
ダウンピッキングの刻みリフ入ってからの展開は、メタル的なドラマ性に溢れていて、かなり好き。
カーカスは大曲志向だった時期があったけど、過去のそれとは全然違う大曲の仕上がり。

ラストでは終わったに思わせておいてからのスネア連打からのヘヴィリフ。
ここのパートはかっこいいって素直に思った。素晴らしい。

過去のカーカスのテイストをふんだんに散りばめた渾身の楽曲が
ずらりと並んだこのアルバムの中で、彼らはラストにこの曲を持ってきた。

ラストまでの楽曲が「リバプールの残虐王」の帰還をアピールするものだとすれば、
新たなカーカスをアピールするのが「Mount of Execution」。
単なる過去の焼き直しを善しとせず、このような楽曲を収録したことに、
僕は彼らの心意気を大いに感じて、本当に嬉しく思った。

「Mount of Execution」は新たなカーカスの始まりを告げる名曲だと思う。
邦題は「処刑の丘」。彼らはまた処刑場に帰ってきてしまったということだ。


結論から言うと、『Surgical Steel』は、17年ぶりの復活作として申し分の無い、
素晴らしいアルバム。前評判が良かったのもうなずける仕上がり。

でも実は1回目に聴いたときは、違和感ありまくりで、
これは過剰な期待をかけすぎてしまったなーと思ってしまったのは事実。
その要因は音質とドラムの二点にある。

本作のミックスを担当したのは、Arch Enemyでおなじみのアンディ・スニープ。
クリアでダイナミックで、空間の広がりを感じさせるミックスなんだけど、
自分のイメージするカーカスのそれ、とは異なっていて凄く違和感があった。

別にカーカス初期の劣悪な音質がいいという訳ではなくて、
ただ、17年という時の流れを経て、現代的な音で彼らの楽曲を聴くと、
どうもこうじゃないって拒絶反応が出てしまったようだ。上手く言葉に現せないけど。
『Swansong』の音で彼らは自分の中で止まっていた訳だから。

ただ古臭いミックスすれば良かったという訳ではないし、
素直に今のカーカスの音はこれなんだと慣れた2回目以降は、
違和感無く楽曲の素晴らしさに耳が向くようになった。

また、新ドラマーのダン・ウィルディング。
珍しいパターンだけど、彼のリズムは正確すぎて、またこれも多大な違和感があった。
上手すぎるってのも考えものなのかなあと。

自分にとって、カーカスらしさの象徴はケン・オーウェンだったと思っている。
複雑で独創的なリズムパターンは凄く個性的でセンスに溢れている一方で、
彼は非常にルーズで正確さとは真逆の立ち位置にいるドラマーだった。

でもそれがカーカスの「ノリ」をもたらしていた訳で、
あのスイング感こそカーカスの真髄であり、素晴らしさなんだと思っていた。

パンクの血を引くグラインドコアをルーツにしたバンドの出自が、
その後のメロディックデスメタルの世代のバンドと一線を画していたのは事実で、
それがカーカスというバンドの面白さだと思っていた。

でもこちらに関しても、演奏上手いカーカスも悪くないなあと思えば気にならなくなったし、
「Mount of Execution」みたいな楽曲のドラマ性は、
ケンでは演出できなかった世界だったかもしれないと思えるようになった。

ケン・オーウェンのフレーズをいくつか引き出して再現しているところも、
色々と気付いてくるとダンってかわいい奴だなあと愛おしく思えてきたり。

こちらに関しても慣れの問題だったようだ。

いくら楽曲が素晴らしくても、自分の中に生じるモヤモヤがあると、
そうしてもそこに耳が言って素直になれないってことなんだろうな。
その点は聴き込むことで、全然印象が変わった。

自分みたいに1回目に聴いてピンとこなかった人も、2回目、3回目と聴くべきアルバムだと思う。
それでダメなら、それは好みの問題だったって話になると思うけど。


本日Loud Parkへの出演も発表され、
日本において、カーカスがかなり熱い状況になっている。

俺が行った町田のタワレコではニューアルバムが売り切れていたし、
セールス的なリアクションもひょっとしたらレーベルの想像以上なんじゃないのかな。

『Swansong』の続きが聴けて、本当に良かった。
そう思っている人が、今日本にいっぱいいるんじゃないのかな。

そーいえば、ボーナストラックもかなり良かったなあ。
「Intensive Battery Brooding」なんて特に。
邦題と対訳はトイズファクトリー時代の雰囲気そのままなんで、
ボーナストラックもあるし、絶対に日本盤の購入がおすすめ!


B00DZARW30サージカル・スティール
カーカス
(株)トゥルーパー・エンタテインメント 2013-09-03

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Carcass 「Mount of Execution」
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Mumford & Sons 「I Will Wait」

自分にとっての初めての野外音楽フェス体験はRising Sun Rock Festivalだった。
当時は北海道の札幌に住んでいたので、会場が近かったという側面が非常に大きい。

ただ、学生時代はバリバリのメタラーだったこともあり、
邦楽のみのメンツであるこのフェスは、立ち上がり当初、特に大きな興味を抱くことは無く、
周りに参加する人間がいても、自分は一緒に行こうと思うことなく、何年かが過ぎていった。

ただ、大学院に行くようになっていた頃は、メタル以外の音楽を聴くようになっていて、
友人からの誘いもあったことから、自然とライジングというフェスに関心を抱くようになり、
そしてようやく野外フェスというものを体験することになる。

はっきり言って、その体験は鮮烈だった。

昼間から朝方までぶっ続けで音楽が会場のどこかで鳴り響いている。
周りを隔てるものは何も無く、頭上にはただ大きな空が広がっているだけ。
そんな環境の解放感は、正に「非日常」に思えた。

フェスに行き始めの頃の人間って、タイムテーブル眺めて、
隙間無くとにかく色んなライブ観て回ろうってタイプの人間が多いように思えるけど、
何を隠そう、自分もそうだった。
初年度なんてヘロヘロになって、朝日が出る時間には芝生の上で、ガン寝だったように思う。

でも基本はメタラー仕様だった自分も、新たな音楽との出会いを心から楽しんでいたのを思い出す。
普段はクラブなんて行かないんだけど、深夜のDJアクトのステージに行って、
訳も分からず、見よう見まねで踊ったりしていた。
勿論メタラーの魂が噴出し、激しいライブではモッシュピットで人に揉まれた回数も数知れず。

ライジングというフェスに参加して、常に音楽に溢れた環境の素晴らしさ、
体力を削りながらもその先に見えてくる音楽に対する高揚感、
そして自分が知らなかったバンド、音楽との出会いといった、一般的なフェスの醍醐味を
自分も実感し、世の中にはこんなに面白いものがあるんだということを知った。

自分は就職して関東に住むことになるんだけど、
数年は飛行機で飛んで、ライジングに行き続けた。とにかくあの環境をまた味わいたくて。
すっかりライジング中毒者になってしまったということ。


そんな自分が関東に就職して、自然と興味が出てきたのが、フジロックだった。

フジの前にサマソニには参加していて、洋楽アクトの出演するフェスの豪華さに
感動してはいたんだけど、でもライジングで味わった感動とはまた違っていて、
音楽フェスの真髄は野外フェスにあり、と既に身を持って体験していた人間としては、
ますますフジロックに対する憧れというものを強く抱くことになった。

そして2007年。恐らく同期と酒を飲んでいた時だと思うけど、
フジロック一緒に行かねー?、なんて話をして、チケットを取って、
初めてフジロックというものに参加することになった。

もうこの年は何もかも勝手が分からずに、めちゃちゃ疲れたのを覚えている。
木曜の深夜に出発して会場入り。駐車場は田代。既に疲れていたけど、そこからバス移動。
更にスキー場の傾斜をひたすら上っていって、テントを張ってと。

ライジングってフェスはステージのすぐ近くにキャンプサイトがあって、
快適極まりないんだけど、フジロックでのキャンプサイトの不便さには、当時閉口した。
もうテント張った時点でクタクタになってた。

でもやっぱり始めてのフジロックってのはテンション上がる訳で、
当時は日本一のロックフェスこそフジロックだ、なんて認識もあったし、
そんなフェスに来ている自分に酔っていた側面もあったかもしれないと思う。

とにかくこの年は歩き回って、ビールも大量に飲んで、
至るところで倒れるように芝生の上に寝転んで寝ていたように思う。
落ち着いてライブ観ていた気がしない。

当時のタイムテーブル見ても、頭から最後までまともに観たアクトは少ない。
きっと落ち着き無くライブの途中でも切り上げて、次のステージ行ったり、
なんてことを繰り返していたからだと思う。

でもこの年のMuseのライブはとにかく凄くて、
前年のサマソニも凄かったけど、やっぱり苗場で観るMuseがあまりにもかっこ良くて、
きっとフジロックという場が織り成すマジックというものを実感したり。

自分にとって初年度のフジロックは、とにかくボロ雑巾のようになって、
日曜トリのChemical Brothersのときはもう力尽きて立てなくなっていて、
「Hey Boy Hey Girl」流れたら急に立ち上がって、そんときだけ踊るみたいな、
そんな状態になっていた。翌日仕事なんて、絶対に行けなかった。

凄く過酷だと思ったけど、でも振り返ってみればやっぱり楽しい思い出になっていて、
帰り際には、来年も行こうぜって友人と誓い合いながら、帰った。
この年は朝方に苗場を出たから、東京戻ってきて環八の大渋滞に巻き込まれて、
最後まで辛かったのも思い出す。


そうなるともうメンツなんて発表される前に、フジロックのチケットを取るようになる。
早割というものに申し込み、何年か連続で当選していた。
早割のいいところは、駐車場が会場から最も近い場内1であること。
この場内1の味を占めてから、フジロックをゆとりを持って楽しめるようになった。

野外フェスはキャンプが必須だと、エゾロッカーであった自分は思っていたけど、
別にステージに隣接している訳ではないキャンプサイトで、
ムリに遠いところまでテント張りに行かずに、車で泊まればいいと感じるようになり、
ある年からそう行動するようになった。

そして苗場、湯沢には温泉がいっぱいある。朝に車で出かけて、温泉に入るようになった。
たまたま行った温泉があって、そこで話しかけてくれる地元の方々を嬉しく思い、
フジロックの度にその温泉に通うようになった。

自然と夜も会場を離れるようになり、そうなると夜に車を運転するようになるから、
フジロックで飲むビールは午前中限定になっていった。

フジロックの翌日には休みを取らずに仕事に行くようになっていたから、
日曜日は翌日のことを考えて、無茶な行動は慎み、
十分な休憩を取りながら、ライブを楽しむようになっていった。

段々とフジロックにおける自分の行動は固まり、最もフジロックを楽しめるやり方で、
毎年フジロックを楽しむようになっていた。

2008年はVines、Feeder、My Bloody Valentine、Ben Folds。
2009年はOasis、Meters、Weezer、Rafven。
2010年はThem Crooked Vultures、Jamie Cullum、Atoms For Peace、Belle And Sebastian。
2011年はColdplay、Get Up Kids、Incubus、The Music。
2012年はStone Roses、Ray Davies、Chthonic、Explosions In The Sky、Refused。

この他名前を挙げたらキリの無いくらい、
今でも思い返すことの出来る素晴らしいアクトとの出会いがあった。


フジロックは毎年行くもの。そんな時間を過ごして今年で早くも7年目のフジロックとなった。
一年の計画はフジロックが中心とは言わないまでも、フジロックを前提に組まれるようになり、
段々とルーティン化していった。

毎年ラインナップは変わるから、常に新鮮なライブに出会えるんだけど、
先に述べた通り、家を出るときから、会場での過ごし方まで、ルーティン化していった。

毎年、フジロックは楽しい。でも、初年度にフジロックに憧れ、
クタクタになるまで音楽を求めて歩き回っていた、
音楽を渇望する自分はいつの間にかいなくなっていた。

寧ろ逆説的にそれは音楽を純粋に楽しめるようになったということでもあるんだけど、
でも、このままフジロックに毎年行くということが、惰性になっていないかと、
自分に問いかけるようになっていた。
少し時間を置いた方が、また新鮮な気分で楽しめるのかもしれないなって。

なので、自分は今年のフジロックは、最後の参加のつもりで参加した。

噛み締めるように会場を歩いて、景色を自分の眼に焼き付けようと思った。
過去の自分が立っていた場所に自分を投影しながら、流れた年月を実感していた。

とはいえ、決して今年のフジロックが感傷的なものであった訳ではなくて、
例年と同じように刺激的なライブばかりで、本当に楽しかった。
時間を見つけて、フジロックで感激したライブのことはぼちぼち書いていきたいと思う。


日曜日の帰り際、会場ゲートをくぐるとき、自然と自分は、
またフジロックに帰ってくるぜって思った。
それが来年なのか、5年後なのか、もっと先なのかは分からないけど。

フジロックには数多くの自分の思い出がある。
ただ楽しむだけではなくて、ライブの合間に寝っ転がって、
自分の人生や社会のこと、仕事のことについて考えた機会も数多い。

苗場という土地に対する愛着もかなりのものになった。
あの山々に囲まれた景色を見ると、いつも帰ってきたなーって、帰省の感覚。

社会人になって、色々と悩み事も抱えて、でも世の中に能動的に関わるようになって、
改めて自分の生き方を考えるようになって、
そんな自分の生きるプロセスの合間にはいつもフジロックがあったということ。

自分にとってフジロックは大切な存在であることを、
改めて実感したのが、今年のフジロックだった。
本当に今年も楽しかった。幸せだった。

こんなこと書いてて、あっさり来年も問答無用で行ってしまうかも。
それはそれで、いいことだと思う。


今年のフジロック、最後に観たのはMumford & Sonsだった。

海外ではフェスのヘッドライナーを務めるくらい売れまくっている彼らだけど、
日本においては、スタジオコーストを埋められないくらいに、人気が無い。
でもこのフジロックをきっかけに、日本でも本格的にブレイクすんじゃないか、
そう思えたライブだった。

あのフジロックの雰囲気にあそこまでマッチするバンドも珍しい。
正直ライブ動画を観ていてもピンと来なかった自分も、彼らのライブに生で触れて、
完全に彼らの音楽の虜になっていた。

音楽性は違えど、Coldplayに匹敵するようなスケール感のあるロックをやっている。
素晴らしい曲を、素晴らしい演奏で聴かせてくれる。
決して奇をてらうことなく、いい音楽を実直に届ける姿勢が、本当に素晴らしいと思った。

ラストの「I Will Wait」では、当然海外ほどの超満員の状況ではなかったにせよ、
苗場のグリーンステージで大合唱が起こった。本当に素晴らしい瞬間だった。

今年のフジロック、Mumford & Sonsで締められて、本当に良かった。
きっとしばらくの間、忘れられないライブになるだろうと、きっと思う。


B008NW67IQBabel
Mumford & Sons
Glassnote 2012-09-24

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Mumford and Sons 「I Will Wait」

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Dead Kennedys 「Kill the poor」

個人的に、アベノミクスという言葉は好きではない。

しかしながら政権交代後の経済政策により、経済動向が変わったのは事実。
この政策が正しかったかどうかは、未来からの視点でのみ評価されるべきだとは思うけど、
少なからず、経済動向に変化を生じさせた点に関して、自分は評価している。

円安への流れが生まれ、株価が上昇した。
株価の上昇は、日本の上場企業の利益が増加することを見込んだ動きであり、
その点では、日本の経済は今後上向いていくと評価されていることの裏づけであると言える。

でも日本にとっては良いと言えても、多くの国民にとって、
アベノミクスがもたらす結果は、不利益となる可能性がある。

多くの人間が語るように、企業の利益が増えたとしても、
給与が増えなければ、インフレの結果として、生活は苦しい方向に進む。
多くの株を持っているのは富裕層であるし、
国民の多くは株高によるメリットを享受できないと考えられるし。

とはいえ、仮に民主党政権のままの経済政策が続いたとして、
それが日本を浮上させたとは思えないし、
「変えるため」の動きを取ろうとしているのは間違っていないと思う。

そんな世の中に生きる人間としては、そういった先を見越した準備をし、
生き抜くための戦略を立てることが、今求められているんだと考えられる。
自分の親の世代を倣った、今まで通りの生き方は、もう出来ないんだって。


若年層の失業率が世界中で問題になっている。ギリシャでは62.5%なんてとんでもない数字。
世界的に見れば、日本なんて大したことないように見えるけど、
でも8.1%ってのも高い数字のように思う。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2013060102000132.html

現代は、若い世代が損をする時代である。
既得権を有する上の世代は、その権利を十二分に行使した結果、
若年層に割を食わせながら、自分達は逃げ切ろうとしている。

海外では若い世代のデモが多発しているけど、
でもそれが実を結んでいるようにはとても思えないし、
将来展望の見えない、閉塞感を感じる世界になってきたなあと感じる。

職に就けない若者に対して、彼らの努力が足りないという指摘は正しいと思う。
そのような世の中になることを見越した準備をしてこなかった人間が悪い。
しかしながら、じゃあそれでいいかというと、自分はそうは思えない。
たまたま生まれた時代が悪かった、そんな言葉も説得力を有する時代になった。

子供から、生んでくれてありがとう、ではなく、何で生んだんだと責められる親。
最近そんな悲劇を夢想して、物思いにふけることがある。


自分は製造業という業界にいる人間で、レベルは低いとはいえ、
そこそこの規模の会社にはいるし、正社員であるし、
今のところは、失業というものからは、まだ遠い位置にいる。

では十年後、二十年後に同じように会社が利益を出し続けて、
自分の給料も年齢と共に上がって、なんてシナリオが描けるかというと、否。

あまり会社の内部のことは書けないけど、
うちの会社ではもうイノベーションは起こらないと感じている。
バブル時期に入社した多くの人間が、これからも十年、二十年と会社に残っていくと考えると、
いくら自分がこれから頑張ろうと思っても、心砕けてしまいそうなのが現状。

そもそも、この先、高度経済成長期のように、
革新的な「モノ」が次々とリリースされるような時代はもう来ないように思える。
先人達の努力のおかげで、はっきり言って、
もう切実に必要なものは無くなってしまったように思えてしまう。

寧ろ個人的には、もう「モノ」を作らない方が、世界にとって良いのではないか、くらい考えたり。
今のところ、無限に利用可能なエネルギー源というものはない訳だし。
クリーンエネルギーと呼ばれている太陽電池だって、
それを作るために多大なエネルギーを使っている訳だし。

先進国に生まれた人間だから言える戯言であると実感はしているが。

少なくとも、過去に比べて、
製造業の世の中に対する貢献度は低下しているんじゃないかというのが、自分の考え。
更にいえば、製造業は中国あたりの追い上げを受けて(汚い手段を含む)、
日本の技術的な優位性もどんどん低下していくであろうとも、考えている。

もちろん、素材分野、バイオ分野など、まだまだ面白そうな業界はある。
でも少なくとも自分が属する電子部品業界の将来はあまり展望はなさそうだ。
過去における半導体のような、革命的なものなんかが出てくれば別だけど。

だったら自分がそれやればいいじゃんと言われそうだけど、
それは絶対ムリだと分かっている。人間には絶対的な器と適正がある。
自分には絶対出来ない。世の中には天才にしか出来ないことがある。


だったら自分は今後どう生きるべきか。
正直言って、展望はない。

過去のブログでも書いてるけど、学生時代から自分は何をしたいのか、
具体的なことなんて何一つなかった。
夢を追い求める、なんて言葉とは全く無縁の人間である。

でもどう生きるか、その指針はずっとあるし、
いつ自分が死ぬかは分からないけど、世の中に爪痕を残した上で、死にたい。
そう思っている。

若くから起業して活躍している同世代の人間は心から尊敬している。
自分の居場所がないなら、自分で作る。そんな情熱に溢れた人間は凄いと思う。
根本的にめんどくさがりな自分には、絶対ムリだ。

だからといって、会社の中で生きることがパンクではないとは決して思わないし、
体制の中に入るからこそ、体制を変えやすいと思えるのも事実。
心が折れそうな場面は多々あったけど、決して諦めることはなかった。

生まれたからには生きてやる。


貧富の差は今後ますます開いていく。
TPPによって海外から人材が渡ってくれば、給料のスタンダードは下がっていく。
一方で、強いものは更に富んでいく。そんな世の中になっていく。

自分はだからといって、弱いものを守れとも思わない。
当然ながら、社会保障は必要だと思うし、それを切ろうなんてことは主張しない。
但し、生まれることイコール、生き残りの闘いを迫られる世の中に身を置くこと、
そんな世の中になったという自覚がもっと広まらなくてはいけないんだと思う。

嫌な世の中になったけど、若い頃から競争を自覚しないと、生き抜けない。
人間は決して待っていては平等ではないんだと、教えてあげなくてはいけないと、思う。
改めて嫌な世の中になっていくと思うけど、グローバル化ってそういうことだ。


The Dead Kennedysの「Kill The Poor」って1980年の曲だけど、
この曲で歌われていることが、これからの世の中で起こりえることを暗示しているかのようで、
改めて、こういったテーマって、普遍的なテーマなんだなあと実感する。

歌詞の内容は下記URLの通り。中川敬が日本語カバーしたものもある。
http://protestsongs.michikusa.jp/killthepoor.htm

体制側の人間からしたら、代わりの人間はいくらでもいる。
多くなりすぎてしまえば、合法的な手段で間引きしてしまえばいい。

多くの非体制側の人間は、そんな世の中を見越した準備が必要なのだと思うのです。
自らの武器は何かを見極めた上で、それを磨き続けなければいけないんだと思うのです。


B0000240O3Fresh Fruit for Rotting Vegetables
Dead Kennedys
Cherry Red 2000-01-01

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Dead Kennedys 「Kill the poor」
エグい歌詞だけど、演奏はかなりしっかりしている。ポップさすら感じたり。
ジェロ・ビアフラの歌声は個人的に、好き。



ヤポネシアン・ボールズ・ファウンデーション 「Kill the poor」
こちらの日本語カバーも好き。

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Chthonic 「Next Republic」

いい加減Chthonicのことはこれで終わりにしようと思う。


ライナーノーツにもあるように、『Mirror of Retribution』までのChthonicは
まずメタル曲を書いて、そこに東洋的要素を加えるという曲作りをしていたが、
『Takasago Army』はそれらを同時進行で行うという曲作りの手法を採っている。

その結果としてリリースされた『Takasago Army』は、
従来の彼らのアルバムとはやはり大きく異なるテイストのアルバムに仕上がった。
確かに今となってこれらのアルバムを聞き比べてみると、明確な違いが認められるのは事実。


『Mirror of Retribution』は、やっぱりブラックメタルがベースとなっているアルバムだった。
トレモロリフにブラストビートというその代名詞がほぼ全ての曲の中で見られる。
「The Aroused」なんて凄くCradle Of Filthっぽいと思った。

でも決して彼らは決して凡庸な単なる一ブラックメタルバンドではなかった。
その大きな要素が、台湾的な、東洋的なテイストの導入だった。
改めてそのキーとなる音を探っていくに、その効果は明確に「二胡」という楽器にあったのだと、
今の耳でこのアルバムを聴いていくと、思う。

実際初めて「Blooming Blades」を聴いたとき、
唐突に二胡のフレーズが飛び出してきたときには、おおーって思った。

その驚きは、単純なかっこ良さに基づくものではあったものの、
女子十二楽坊が使っているような楽器が、メタルに、
しかもかなり過激な部類に入るメタルに融合するんだという新鮮さという点が大きかった。

ザクザクのギターリフをバックに飛翔する二胡のメロディはあまりにも美しく
メタル的なカタルシスに溢れていた。

『Mirror of Retribution』はほぼ全ての曲で二胡が重要なパートを担っている。

名曲「Forty-Nine Theurgy Chains」は、
二胡なしではラストのドラマチックな展開を演出できなかったであろうし、
「Mirror Of Retribution」にしても同じことが言えると思う。

スノンという二胡専属のプレーヤーも過去に在籍していたくらいだし、
彼らは二胡という楽器にこだわりを持ち、この楽器をいかにメタルという音楽の中に融合させるか、
というコンセプトで曲作りが為されていたように感じられる。

勿論ギター、キーボードにも東洋的な要素が感じられなくはないけど、
決して二胡ほどのインパクトはなくて、
素直にかっこいいメタル的な音を鳴らしているという印象。

自分にとって昔も今もそうなんだけど
『Mirror of Retribution』は決して好きなアルバムではない。
勿論突出して好きな曲はあるんだけど、つまんないと思える曲もあるし、
何より全曲が同じようなテイストに溢れていて、飽きがくるからである。

それはやはりブラックメタルをベースとして、
ある意味定型化した曲作りをしていたからなんじゃないかと思う。
(あくまで自分の主観です。念のため)


でもそんな彼らが化けたのが『Takasago Army』だった。
前作から変化した点を上げればキリがないくらい。
実質的な1曲目「Legacy Of The Seediq」からして、変化点に溢れている。

二胡と合わせて東洋テイストを加える楽器として、
イントロでは琴をイメージとした音が導入されている。
そして、前作までもヘヴィなリフ、リズムの曲はあったけど、
更に重く、ずっしりとしたタメも感じられるようになった。

フレディのボーカルは、エクストリームなスタイルに変化はないにせよ
サビのパートでは「歌っている」ように聴こえるようになった。
そしてその音階はどことなく歌謡曲チック。
要所ではボーカルが重ねられて、重厚さが感じられるようになった。

この曲において二胡はサビのパートで使われているけど、
その存在感にボーカルが決して負けていないのが印象的。
曲の中に自然に二胡を溶け込ませた感じが、やはり前作との違いとして実感出来る。

言わずと知れた名曲「Takao」には更に大きな変化が。

ゲストとして台湾の演歌歌手を招くという離れ業。そして台湾語での歌の導入。
メタルの中に台湾テイストを入れるというより、
最早台湾の歌謡曲をそのまま取り入れたと言っても良いような仕上がり。

イントロの琴の音は絶大なインパクトだし、
これまでにはなかった三連リズムの導入は雄大さを多分に演出している。

この曲でも二胡は重要な役割を担っているけど、
Chthonic流ツインリードともいうべきギターとのユニゾンという聞かせ方で、
これまでにない二胡の使い方といった印象。

ドラムに関してもシンバルを廃してタムを叩きまくるような、
太鼓を叩いているかのように聴かせるようなフレーズが増えた。

「Southern Cross」における、フレットの上を指が走りまくるテクニカルなギターリフ、
コブシを利かせたチョーキングが効果的なギターソロ。
ギターに関して、個性が発揮され始めたもの印象的。

「KAORU」では女性演歌歌手まで登場。
全く違和感無く融合させてしまっているのは、改めて聴いても凄いと思う。

とにかく変化に溢れて、しかもそれを完全にモノにしてしまったのがこのアルバムの凄いところ。
今更ながら、完成度の高い、素晴らしいアルバムだったように思う。
このアルバムで、彼らは完全にオリジナルな音楽を作り上げた。
もうブラックメタルなんてカテゴライズは絶対に不要なところまで。

当時の自分がこれでもまだ満足していなかったんだから不思議だ。

ライブではかっこいいと思えるようになったけど、
どうしてもCDでは好きになれない「Oceanquake」が悪いんだろうな。
あとは何だかんだで音作りの不満はあったかも。ヘヴィだけど、もっさりしているというか。


このように『Mirror of Retribution』から『Takasago Army』へと、
大きな変化があった訳で、ここから更に彼らがどんな進化、
もしくは深化を見せてくれるのか、それが『Bu-Tik』に対する注目点だった。

何十回と聴いてきて感じるのが、台湾を象徴するような民族楽器が、
今回のアルバムでは更に数多く使われているものの、
それらが決して突出して聴こえなくなったということ。
二胡という楽器は全ての曲で使われているけど、決してメインという印象は受けない。

人によっては『Bu-Tik』は台湾テイストが後退したアルバムって言うかもしれない。
そんな印象を受ける。

それが何故かというと、バンドサウンド全体に、
台湾テイストが宿るようになったから、だと思う。

その要素を今回担ったのが、ジェシーのギタープレイだと思っている。

メタルという音楽に対して人それぞれ求めるものがあると思うけど、
個人的にはやっぱりギターが最重要な楽器だと思っている。
ギターの音色、フレーズがバンドサウンドを決定付けるということは間違いない。

Iron Maidenにせよ、Metallicaにせよ、Slayerにせよ
従来になかったギタープレイがあったからこそ、彼らは新しい音楽の境地を切り開き、
多くのフォロワーを生んだのだと思っている。

一方でChthonicにおけるギターは、要所要所では光るプレイは見せていたものの、
あくまでバンドの中における一楽器という印象を超えることは自分の中では無かった。

でも、このアルバムでは明らかにギターが主役と思えるような曲が並んでいる。
インタビューでジェシーは、ギターを取って、フレディがくれたもの(デモ)を聴くと、
自然に(メロディとソロが)出てくる、と述べていた。

個人的にはちょっと信じられないんだけど、
ここまでギタリストって変わるんだーって、驚きだった。

確かにライブ見る度に演奏のキレは素晴らしくなってたし、
『Takasago Army』完全再現ライブでのソロタイムでも相当に素晴らしい演奏キメてたし、
ニューアルバムでのプレイには期待していたけど、自分の想像を遥かに超えてきた。

ギターリフを一つ一つ追いかけていってもつまらないリフが全然無い。
インタビューでも語っていたけど、アジアの音階を取り入れたリフ、が素晴らしく、
ギターだけ聴いていても全然飽きない楽曲が揃っている。

何より素晴らしいのがギターソロ。
『Mirror of Retribution』あたりでは正直つまらないソロもあったし、
そもそも『Takasago Army』はそんなにギターソロが入っていなかった。

『Bu-Tik』はこれぞメタルって感じにギターソロが各曲に詰まっている。
でも決してソロありきの長いパートがある訳ではなくて、
あくまで曲を彩る一要素といった趣ではあるんだけど、存在感が抜群。
これまで二胡が担っていた役割をギターが担うようになったんじゃないかって思うくらい。

「Between Silence and Death」でのギタープレイは本当に素晴らしい。
『Mirror of Retribution』『Takasago Army』の流れを汲んだギターリフは、
より鋭利さを増した気がするし、トレモロフレーズは大いに哀愁を演出している。

サビのパートでは二胡に負けない哀愁のギターフレーズが炸裂。
台湾テイストを既にギターで演出できるようになってきた感じ。

中間部のギターソロは、これまた決して難しいことは一切やっていないんだけど、
クライマックスに向けた「転」の役割を見事に果たしている。

圧巻はラストのギターソロ。フレディのボーカルの裏でギターが飛翔しまくっている。
決して弾きまくらず、音を丁寧に繋いで、感動的なクライマックスを演出している。
この曲のバンドサウンドが終わって二胡のソロパートが出てくるけど、
アルバムの中で、ようやくここで二胡が主役になるって感じ。

また、「Resurrection Pyre」のギターソロも新機軸。
他の曲とは異なるスケールを使ったようなソロの組み立てになっていて、
中間部のダブルチョーキングの箇所にはおおーってなった。こんなソロ弾けるんだーって。

フジロックでも共演したマーティ・フリードマンに明らかに影響を受けているんだろうけど、
マーティの要素に従来のエクストリームなギタープレイが融合してきて、
かなり個性あるギタープレイヤーになってきたという感じ。

これまで二胡という楽器が担ってきた役割を、
ギターという楽器でも演出出来るようになってきたこと。
それが『Bu-Tik』における大きな変化点であると個人的には思っている。

初めてこのアルバムを聴いていて、
自分には『Takasago Army』の延長線上とは思えないなーって感想を抱いたんだけど、
それはギタープレイによるものなんだろうなと、後から気付いた。

『Bu-Tik』はアルバムのコンセプトが「闘争」であるから、
アグレッシブな曲が並ぶのは必然であったように思う。
当然ながらその表現においては、ギターの持つ攻撃性は有用であっただろうし、
だからこそギターが前面に出るようになった。

そしてその「闘争」の裏にある悲哀。

彼らが各曲で描こうとした闘争は決して成功していない。
闘争に向かった闘士達は皆、命を落としたり、闘争を余儀なくされたり、と。

でも、きっとその闘士達は、そんな自身の身の上に起こるであろう結末を覚悟した上で、
闘いに向かったであろうと想像する。

Chthonicが今作で描こうとした「悲哀」はそのような背景に基づくものだと思っている。
自由を求めて闘ってきた人々。しかし決してその願いは叶うことなく、多くの人々が倒れてきた。
その無念の表現。

このアルバムのコンセプトを掘り下げていく中で、「怒」と「哀」が純化され、
特にギターという楽器で表現される「悲哀」の深さが増したんだろうなと感じた。

ジェシーは今作のギターフレーズは自然に出てきたと述べているけど、
彼自身がギターで何を表現すべきか、
今作に関しては明確であったからじゃないのかなと想像する。


ジェシーのことばかり語ってきたけど、他のメンバーの演奏に関してもきっと同じで、
『Takasago Army』以上に情感に溢れたプレイを聴くことが出来る。

きっと『Bu-Tik』のコンセプトを各人が理解し、
彼らが為すべきものは何かという点をクリアにした上で、
各々が技術を磨き、そして魂を込めて演奏したのがこのアルバムなんだと思う。

「Next Republic」で感じられる情感は本当に凄まじい。
ギター、キーボード、ボーカル、そしてドラムとベースがイントロから渾然一体となって
襲い掛かってくるかのような演奏は圧巻だと思った。

表現したいことが明確になり、それを表現する手段を彼らは身に付けた。
その結果が反映されたのが『Bu-Tik』というアルバム。

たぶん今の彼らなら、民族楽器や台湾語の歌を省いても、
台湾テイストに溢れる楽曲を作り、演奏することが出来るんじゃないかと思える。
そんな境地に来たような気がするから、僕は『Bu-Tik』について、
単なる『Takasago Army』の延長線上には思えないという感想を抱いたんじゃないかと思う。


でもここまで来たら、次に彼らはどこに向かうんだろうと心配になってしまう。
これ以上台湾テイストの純化、深化を突き詰めることが出来るのか。
個人的には、二胡を一切使わないアルバムを聴いてみたい気持ちもあったりするけど、
それは彼らが選ぶ道だから、素直にそれを楽しみに待っていたい。

とはいえ、とにかく今はライブ。
『Bu-Tik』の楽曲はライブでどのように響いてくるのか。
前回披露された「Set Fire to the Island」が超絶的にかっこ良かっただけに、本当に楽しみ。

早くライブ観たい。観たばっかりだけど、またすぐ観たい。
そして『Bu-Tik』が世界的に売れて、もっと高いステージに彼らが上ることを願ってやまない。


うーん、これだけ書いてもまだ書き足りないなあ。
やっぱりまたChthonicのこと書くかも。


B00CBT1GHEBu-Tik
Chthonic
Spinefarm 2013-05-30

by G-Tools



Chthonic 「Next Republic」

テーマ : お気に入り&好きな音楽
ジャンル : 音楽

Chthonic 「Supreme Pain for the Tyrant」

Chthonicの『Bu-Tik』がリリースされてから約2週間。
家にいる時間が少ないとは家にいるときは未だに垂れ流し状態で、
もう数十回は確実に耳にしていると思う。

リアルタイムでこんなアルバムに出会える体験ってめったにないから、
凄く幸せなことなんだろうな。


今回はアルバムを取り巻くコンセプトのことについて書いてみる。

インタビューで語られている通り、このアルバムのコンセプトは、
「正義のための戦い」「正当な理由がある防衛」であり、
過去の台湾の歴史上で起こった「闘い」が時代を超えて、各曲の中で描かれている。

その中で気付くのは、繰り返される闘いの歴史、というテーマ。

アルバムのイントロには「Arising Armament」というタイトルが付けられている。
耳慣れない言葉だけど「Armament」は「軍備」。
一方でアウトロのタイトルは「Undying Rearmament」。
「Rearmament」は「再軍備」。更にいうと「undying」は「終わることのない」との意味。

どちらのインストも打楽器をメインとした攻撃的な曲。
どことなく台湾の原住民が闘いに向かう前のシーンを連想させる。
ホラ貝の音色なんて、正に戦闘に向かうイメージにぴったり。

ライナーノーツに述べられている通り、この二曲には同じフレーズが使われている。
イントロからアウトロへ、そしてまたイントロへとループするような構成になっている。
「Undying Rearmament」の意味が示す通り、このアルバムで描かれているのは、
決して終わること無い闘争の歴史であることを示唆している。

「Supreme Pain for the Tyrant」の最初に
「Endless nightfall, swallow the sun」というフレーズが出てくる。

「sun」には様々な意味を込めていると思うんだけど、
一つの比喩として「台湾の明るい未来」そして「自由」という意味を込めていると想像できる。
一方で「sun」を飲み込む情景となる「nightfall」は「台湾の暗い歴史」そして「抑圧」。
終わりのない「nightfall」は闘いの続く台湾の歴史を指し示しているかのような。

続く「Sail into the Sunset’s Fire」。
曲のタイトルには前曲とリンクする「Sunset」という言葉が出ている。
決してsunriseではなく、sunset。
夕暮れに続くのは闇。自由を手にした海賊達が向かう先には闇。

そんな将来を比喩しているのかななんて想像してしまう。
当然ながら燃え盛る太陽の情熱に向かって、
力強く生きていこうとするポジティブなエネルギーに溢れてはいるんだけど。

「Next Republic」では「Nation will rise again」と歌われている。
この曲は台湾の独立のために闘った英雄達を描いた曲。
結果として、永遠の独立は達成していない現状。しかしながら、何回でも立ち上がる。
将来の独立に向けて、何回でも闘争する、というメッセージが込められているように思う。

「Building New order from the past's crimes」のために。

「Rage of my Sword」そして「Between Silence and Death」では、
「mountains high」という共通のフレーズ、
そして「river」「stream」とこれまた意味上で同一のフレーズが用いられている。

1721年の反乱から1970年の反乱。250年の時を経ても繰り返される闘争。
一方で山々そして河の流れは決して雄大さを失うことなく、そこに在る。
これらの自然に向き合ったであろう登場人物の心境は大いに異なるように思えるけど、
「mountain」「river」という言葉をこの2曲に登場させたのは意図的なものを感じる。

「Resurrection Pyre」に登場するのは「Phoenix」。
言わずもがなの不死鳥は、永遠に生き続けるものの象徴。
焼身自殺した活動家をその象徴として描いているものの、その背景にあるのは、
台湾の独立のために自由を求めて闘ってきた人々の魂。

その魂は現代も生き続けていることを、メッセージとして込めているんだと思う。

「Set Fire to the Island」には台湾語で「硝煙四起陣陣新性命」という歌詞がある。
俺達を撃つがいい、命は再び蘇る、という意味のよう。
前曲でも歌われているけど、過去の闘争の中で受け継がれてきた魂は、
やはり自分達が死んでも決して生き続けるという意志が込められているように感じられる。

「Defenders of Butek Palace」には
「Sunset decries, nightfall's demise」というフレーズが登場する。
先の「Endless nightfall, swallow the sun」と対応するかのように。

夕日の非難。夕暮れの死。
とうとう夕日も沈んでしまって、闇の世界に入ってしまったことを暗示しているかのよう。

そして結局「Violence returns」と歌われる。
暴力の連鎖は未来も続いていく。ひょっとしたら千年、いや一万年も。


アルバムのコンセプトを素直に読み取ろうとすれば、非常に絶望的である。

他国の人間がとやかく言う話ではないことを承知の上で言えば、
台湾の歴史の中で、真に台湾が独立していた時代は非常に短い。

過去の独立運動が実を結んだケースは非常に少ないし、
現実として今でも台湾は中国の一部としてみなされ、
国家としての承認は未だに得られていない。

Chthonicのメンバーが中国からの独立を志向しているのは公知の事実だけど、
そんな彼らが決してただ単純にそんな絶望的な歴史と事実を描こうとしたとは思えない。

人間の歴史の中で暴力が消えた瞬間は無いといっていい。
世界ではいつの時代にも戦争が起こっているし、これからも繰り返されるであろう。
彼らはそのことを肯定する。正義のための暴力を肯定する。

ひょっとしたら、永遠のループの一つのピースになってしまうのかもしれない。
決して直接的な暴力行動を彼らは起こそうとしている訳ではないけど、
彼らの行動に対し、想定される一つの帰結に対する覚悟を描いたのが
このアルバムだったのかなと自分は思う。

台湾の独立のために自由を求めて闘ってきた人々の魂を、
現代に生きる彼らは受け継いで、そして闘っていこうとする覚悟。
永遠に繰り返されるであろう闘いに対する覚悟。

かなり大げさな言い方だと思うけど。


尚、ジャケットのアートワークには女性、子供、老人が描かれている。

インタビューでは、
「女性や子供、老人のような弱い立場の人々も、
武器を持って現在と未来の正義と平等のために戦うべきだ」
ということがテーマになっていると述べられている。

女性、子供、老人に共通するのは裸であるということ。
但し、各人には機械のようなものが身につけれられている。

子供はチューブのようなものに絡み取られて、台湾の歴史の中に絡み取られているかのよう。
老人は目を合わせて祈りを捧げている。将来の独立、平和を願っているのだろうか。
勇ましく戦場に向かうかのように見える女性。髪と肌の白さは何の象徴なのか。
中ジャケでは地べたにひれ伏している姿。こちらも何を象徴しているのか。

このジャケットにはまだ謎が多いので、将来的に語ってほしいなあと思う。
謎は謎のままで良いってのも事実だとは思うんだけど。


日本という国は過去の歴史の中で非常に長い間独立状態を保っている稀有な国家なので、
Chthonicのメッセージは過激で、なかなか理解しにくいところがあると思う。
実際の自分も、彼らほどリアリティを感じて、彼らの音楽に向き合えている訳ではない。

でも想像力を膨らませて考えることは出来る。

「正義のための戦い」「正当な理由がある防衛」に対して、僕は全面的には肯定しない。
暴力は連鎖するのが歴史の事実であって、もっと異なる手法を追求しようとするのが、
人間のあるべき姿だと思うから。

一方ででも「正義のための戦い」「正当な理由がある防衛」を決して全面的に否定はしない。
自分が大切な人の命が奪われようとしているとき、自分が立ち上がらないかといえば、否である。

世界を変えるには、一体どうすれば良いのか。
多くの先人達が取り組んできたテーマに、頭の足りない自分みたいな人間も、
少しは考えないといけないよなー。


大分脱線したけど、とにかくまだまだ語り足りないChthonicのニューアルバム。
日本で派手なアクションは聞かないけど、売れてんのかな?それが心配。


B00C1P3IC4Butik 武徳
ソニック
ハウリング・ブル・エンター 2013-05-29

by G-Tools



Chthonic 「Supreme Pain for the Tyrant」
CJの役柄がかなりハマってるw これも力作なPVだなあ。

テーマ : お気に入り&好きな音楽
ジャンル : 音楽

プロフィール

捕鯨船団

Author:捕鯨船団
1979年生まれ。
東京都町田市在住。
電子部品の技術開発に従事。

30超えにも関わらず、
楽器をドラムに替え、
学生時代以来のバンドを始めた
今日この頃。

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